中垣内祐一が米農家と大学教授の二刀流の理由がすごい!元日本代表バレーボールエースの現在は?
中垣内祐一さんは日本代表監督を退き、家業を継ぐため故郷に戻ってきた2021年に、福井工業大学バレーボール部の総監督と教授に就任されました。
中垣内祐一が米農家と大学教授の二刀流の理由がすごい!!
中垣内祐一さんは福井工業大学・スポーツ健康科学部の教授です。
中垣内祐一さんは福井屈指の進学校・藤島高から、バレー推薦ではなく一般入試で筑波大に進んだそうです。もともと知識欲は旺盛で、授業の準備で机に向かうのは性に合っているのかもしれないです。
大学教授
「自分のことを知らない場所」で生きる
中垣内祐一さんはバレーボールという世界から離れ、自分を知っているのが当たり前だった場所から、知らないのが当たり前、という場所で生きる今。教授という「教える」立場はむしろ、学ぶことばかりだといいます。
中垣内祐一さんは授業をするから聞くのが当たり前じゃなく、むしろ学生が飽きたり、寝ちゃったりする授業をするほうが悪いんだな、と思い、パワーポイントでいろいろ資料を入れたり、飽きられない工夫をしています。
前期に比べて後期は授業の数も増え、野球部やゴルフ部に属する6人の学生の卒業論文も指導教諭として担当しています。
「こんな先生に指導されるなんて学生がかわいそうだから、やめたほうがいいって言ったんです。僕も会社で働いていた時は論文を山ほど書いたけれど、大学の卒業論文は人生がかかるもの。中途半端に見られるようなものではないですから。今までは自分に矢印を向けて、一生懸命やれば何でもできると思ってきましたけど、農業も大学もそうじゃない。人の力を借りないと何もできないし、改めて、いろいろな人に助けられているのを日々実感しています」
米農家
新米の出荷作業に追われたこの秋も、五輪予選では日本代表を含めた数試合で解説を務めた。翌朝、1限から授業が組まれていたため、試合解説を終えた直後に深夜バスで福井に戻ることも考えていたが、試合時間が延びれば深夜バスすら乗り損ねる状況を危惧し、大学の配慮で休講となったそうです。
改めて周囲のサポートへの感謝を抱くと共に、チームの力で勝利とパリ五輪出場権をもぎ取った男子バレー日本代表の姿を目の当たりにする喜びも存分に味わった。
「自分が監督として何をしたとか、そんな感情は全くないです。むしろ今は、ただのファンというか、親戚のおじちゃんみたいな気分かな(笑)。よく知る選手やスタッフが頑張っている姿を応援する。幸せだし、まぁ楽しいですよ」
中垣内祐一さんの日常は、基本的には朝5時起床、7時半に「農好社」(コメづくりは会社組織になっているのだ)に出社し作業の打ち合わせ。8時に福井工業大学に向かい、夕方5時半まで教授として教鞭を執る。
大学と高校、学園全体のバレー部の総監督でもあり、多忙の合間をぬって田んぼでの作業をこなします。農繁期は大学の夏休みにあたるから、うまく融通が利くようです。
夏の日本海側は酷暑、あるいは水不足に悩まされたが、中垣内祐一さんの田んぼ周辺は、九頭竜川からひかれた農業用水のパイプラインによって水不足とは無縁。すでに、約33ヘクタールほどの新米の収穫は無事にすませます。
米農家と大学教授の二刀流の理由
米農家と大学教授の二刀流について調査してみました。
コメづくりについては、小学生時代からトラクターに乗って手伝っていましたが、本格的に始めたのは去年から。また大学の授業は今年からで、まず1年間は授業の準備が大変です。科目はキャリアデザイン、基礎健康科学、スポーツ施設論……など週に7コマ。得意分野ならまだいいんです。たとえばスポーツ施設。フロアの特性や維持管理のことなら、多少は知っていますから。ですがそれがプールや芝生についてとなると、一から勉強ですよ。
新しいことを知りたがる自分の性格が役に立っていますね。話す内容の重要性は、フィリップ(ブラン監督)から学んだことでもあります。自分が指導者の時、ミーティングでは出たとこ勝負で話し出すことも多かったんですが、彼は毎日話すべきことをメモに取り、確認しながら、事前にリハーサルまでやっていました。ですからミーティング内容には説得力があり、ロジックの破綻や大事なところの漏れなどもなくなるわけです。それは、授業の時にも大事な要素。話す内容を考えたり、スライドや動画をつくるのは一仕事ですが、若い学生と接するのが、だんだん楽しくなってきました」
中垣内祐一は元日本代表バレーボール監督で現在は?
中垣内祐一さんの現在は「大学教授、兼、米農家」という2足のわらじで、特別栽培米づくりに日々励み、農業と向き合っていらっしゃいます。
コメ農家に転身した、元男子バレーボール日本代表、福井出身の中垣内祐一さんの「米農家に転身した第二の人生についてや、故郷での新たなチャレンジ」についてお紹介いたします。
中垣内祐一のプロフィール
引用:NumberWeb
- 1967年福井県生まれ。
- 藤島高校では同好会レベルのバレーボールチームに所属
- 筑波大から本格的にバレーボールに取り組み、在学中に全日本メンバーに選出、ワールドカップで脚光を浴びる
- 大学卒業後は、新日鐵(現・堺ブレイザーズ)に入社。1年目からリーグ優勝に貢献し、史上初の最高殊勲選手賞と新人賞のダブル受賞
- 全日本でもエースとして活躍し、92年のバルセロナ五輪では6位入賞を果たした。2004年に現役を引退
- 2011年から2013年まで男子日本代表のコーチを務め、2017年から監督に就任し、2021年の東京オリンピックで7位の結果を残し、代表監督を勇退。2022年に福井工業大学教授に就任
- 系列の中学、高校のバレーボール部の総監督にも就任
米農家について
「なぜ中垣内祐一さんがお米をつくってるの?」 とお思いの方もいらっしゃるのではないでしょうか?
中垣内祐一さんのご実家は福井県の米農家です。20歳の頃から「50歳になったらご実家の農業を継ぐ」と心に決めていたそうです!場所は、福井県九頭竜川鳴鹿土地改良区です。
中垣内祐一さんの米農家では「ふくむすめ」と「ピカツンタ」を作っています。「『ふくむすめ』はもちっとしているから、水は少なめに炊く。その塩梅がコツなんですよ。『ピカツンタ』のほうが簡単かな」と話しています。
九頭竜川下流域国営パイプライン
パイプラインは、農業用水を田畑へ運ぶ水路のことです。九頭竜川下流域国営パイプラインは平成28年4月に完成しました。
良質で冷涼な水供給が坂井・あわら・福井・永平寺の農地に届けられるようになったことで、お米の品質向上や多様な農作物の生産が可能となり、これまで以上においしい農産物が収穫できるなど、大きなメリットが生まれました。
「パイプライン」は、私達が毎日食べているお米や農作物の味にも、密接に関わっているんですね!